マットの嫌な臭いと嫌気性細菌
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その8

 クワガタの幼虫は、当然のことながら酸素を呼吸する好気性生物です。また、気門から幼虫の腸内への距離は、精々3mm程度であり、人間の肺から腸の間の距離20〜30cmの単純には1/100に過ぎません。気体が拡散する速さは、距離の4乗に比例しますから、大雑把に見てクワガタ幼虫の腸内は人間の腸内の100^4=100,000,000倍も好気的な条件にあります。
 従って、クワガタの腸内で優勢な細菌は人間の場合の通性嫌気性細菌である大腸菌が優勢種であるのと異なり、好気性細菌が優勢種であることが予想されます。
 実際に飼育してきた数多のクワガタ幼虫の菌糸ビン・バクテリアビンの匂いが、全く悪臭をもたないこと、そしてその条件下で80mm超のアンタエウスが高確率で輩出したことからも、クワガタの腸内細菌が好気性であることが推察できます。

それは以下の理由によります。

 嫌気性(微)生物は、好気性生物が酸素を使って営んでいる生体反応を酸素に代わる原子種を用いて行わねばなりません。それには、通常、酸素と同じくVI族に属する元素であるイオウが用いられます。好気性生物がXという物質を酸化してATPを作る反応がX+nO2→XO2nと表されるとすれば、イオウを用いた反応は、X+2nS→XS2nとなります。
 単純に水素を酸化した場合、好気性生物による反応生成物はH2Oすなわち水であるのに対し、嫌気性生物による反応生成物はH2Sすなわち硫化水素となります。
 イオウ温泉に行くと卵が腐ったような匂いがありますが、あの匂いこそが硫化水素の匂いです。また、好気性生物によりメタンが酸化された場合には、CH4+2O2→CO2+2H2Oとなり、生成物である二酸化炭素と水は共に無臭であるのに対し、嫌気性生物ではCH4+S→CH3SHとなりますが、このCH3SHはメチルメルカプタンという物質で、最強最悪の悪臭物質です。
 いずれにしても、嫌気性生物が生命活動を営むときに生じる主生成物は悪臭を放つ物質であることがお分かりでしょう。従って、きちんと育ったクワガタの菌糸ビンが悪臭を放たないことは、クワガタを大きく育てるバクテリアが好気性であることの強力な証拠なのです。
 また、嫌気性生物の生命活動による生成物である硫化水素やメチルメルカプタンは、好気性生物にとっては強い毒性を示す毒ガスです。よく、工事の人夫さんなどが、長い間開けずに放ってあったマンホールの中に入って、メタンや硫化水素に侵されて命を落としたりしますが、それこそが、硫化水素やメチルメルカプタンの毒性を示しています。

 以上より、クワガタ幼虫飼育において、もしも酷い悪臭を生じるマットや菌糸ビンができてしまったなら、そのままでは幼虫が落命するか、もしも命は保てても、その後の発育に絶対的悪影響が出ることは間違いありません。

 さて、嫌気性生物に支配されるマットは、再生できないでしょうか?
 実はできるのです。

 一般に嫌気性生物の代謝で生じるエネルギーは、好気性生物のそれより遥かに小さいので、嫌気性生物の増殖速度は、好気性生物のそれよりもずっと遅いのです。従って、マットに栄養さえ残っているなら、空気(酸素)の豊富な条件下で放置することにより、マット内で好気性生物が次第に増殖し、嫌気性生物を圧倒します。そして、嫌気性生物が残した代謝物さえも酸化して無臭物質に変換するために、臭い匂いも消えます。
 例えば、H2S+2O2→H2SO4(硫化水素は硫酸にまで酸化される)CH3SH+2O2→CH3HSO4(メチルメルカプタンはスルフォン酸メチルに酸化される)のように。
 従って、言葉はきついかも知れませんが、臭い匂いで有名な某(笑)マットなどは、わざわざ嫌気性細菌に支配させておきながら、使用前の「熟成」期間を推奨して改めて好気性細菌を優勢にする時間を別途必要とするのです。ただ、嫌気性細菌支配のマットにも利点はあります。すなわち、製品を密閉容器に保管できるということです。(飼育には、まるで意味がありません。
 好気性細菌支配のマットは、容器を密閉しておくと好気性細菌が死んで、嫌気性細菌が支配してしまいます。従って、好気性マットであっても、長く使用せずに悪臭を放つようになったならば、改めて空気に曝(さら)して匂いがなくなってから使用することが重要です。